高校生活と性のリアル【処女でいることのプレッシャーを考える】
友だちからの言葉がきっかけで
こんにちは!助産師小渕です。
とある質問がありました。
「『高校1年生でまだ処女って、ダサくない?」と言われて、すごく傷つきました。わたしはダサイんですか?わたしみたいな人間がいることは悪いことなのでしょうか?」
この質問は、性に対する若い子たち、特に高校生ぐらいの子たちのプレッシャーと、それがわたしたちの心にどのような影響があるか、すごく深く考えさせられました。
それに自分自身もそのような経験があったからなおさら、です。
今回はこのテーマを掘り下げてみたいと思います。
セクシュアリティと「マウント」文化
みなさんは「性経験マウント」という言葉を聞いたことはありますか?
「性経験マウント」とは、友だちや同級生間で、自分の性経験を誇示し合って、それを通じて「自分の方がすごい」、「性経験がないヤツは自分よりも劣っている」と社会的地位、カーストを確立しようとする現象です。
この謎の文化は若い子の間で一定の影響力があり、特にSNSの普及により、その傾向は強まっています。
ただ、このような競争は生産性のない競争で、性に対する歪んだ価値観が作られてしまうし、若い子がこころを病む原因の1つとして考えられます。
わたし自身も、この性経験マウントに苦しんだ者の1人です。
「周りに遅れをとってはいけない」というその一心でした。
ただ、今となってはそのような自分のものさしでしか、他人を見ることができないその価値観がヤバイよな~と感じております。
そもそも「処女や童貞は〇歳で捨てないといけない」みたいな決まりは誰が決めたんだ?
メディアの影響を考える~メディアの影響力の甚大さ~
わたしたちは日々、恋愛映画やドラマ、SNS、雑誌など、さまざまなメディアから性に関する情報に触れています。
これらのメディアは、性に対する価値観や期待値を上げさせるのにすごく偉大な影響力を持っています。
ただ、これはリアルではなくて、理想化されたイメージやステレオタイプを強調しているものばかり。「こんなんリアルにあるわけないやん」っていうものが多々です。
「初体験はすごくロマンチックで…♡」とか、「すごく神秘的なもの…!」(知らんけど)みたいにそういう描写が多いものに触れている、かつそういう情報に囲まれながら育つことで、現実とのギャップに苦しんでいる人も多いのです。
自分のからだ、自分の選択
性に関する選択は、他人が決めることではなく、自分自身の意志に基づいて行うべき。
大切なのは、自分自身のからだや心の準備が整い、納得のいく形でそのステップを踏むことです。
自己決定権を尊重し、他人の価値観に左右されず、自分自身のペースで選択していくことがとっても大切。
パートナーがいるもいないも自由、セックスをするもしないも自由、もちろんタイミングもあるけれど。
世の中には、セックスをしないで生涯を終える人だっている。
だけど、そういう人たちが死に際「セックスをしなかったことが人生の後悔です」みたいになることはそうそうないんじゃないかなって思っています。
自分が好きな人にしかからだに触れてほしくない、
自分のからだにコンプレックスがある、
妊娠するのが怖いから、などいろんな人がいます。
その人たちもたまたま自分や相手のタイミングが合致する瞬間があったら、セックスをするかもしれないし、タイミングがなかったらセックスをせずに人生を終えるかもしれません。
自分は自分、ひとはひと。
いろんな人がいていいのです。
性教育の役割って何だろう?
効果的な性教育は、若い子が健全な性の価値観を持つために必要不可欠です。
性教育を通じて、若者は相手への尊重、自尊心の重要性、健康な人間関係の作り方などについて学ぶことができます。
また、性教育は性に関する正確な情報を提供することで、若い子が自分自身の選択をよく理解し、性に関する情報や知識を活かした決定ができるようになります。
だから性教育って超大事なんです。
まとめ:自分を受け入れるために
最終的に、性に関する選択や価値観は個人のもの。
社会的なプレッシャーや他人の期待に振り回されることなく、自分自身を受け入れ、大切にすることが重要です。
また、性に関する悩みや不安を抱えている場合には、信頼できる大人や専門家に相談して助けを得ることもとても大切。
自分自身の価値は、性経験の有無によって決まるものではありません。自分自身を尊重し、自分のペースで成長していくことが何よりも大切です。
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